スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | | - | - | pookmark |
Entry: main  << >>
明治銀座事情
私はもともと純粋な歴史好きじゃなくて、明治大正の風俗と江戸川乱歩と当時のジャーナリストが好きだったんです。
これでよく木戸さんまでたどり着いたものだ。


ジャーナリスト好きゆえに当時の新聞社を調べていたら19もの新聞社が銀座に集中してるんです。
あの徳富蘇峰の『国民新聞』は明治23年に日吉町で創刊。
でも銀座の煉瓦街を無冠の帝王たち(そう呼ばれてたらしい。旧幕臣出身者が多かったからね)が歩き回ってたと思うとドキドキする。


銀座はもともと俗称で、正式名称になったのは明治2年(1869)のことだそう。
わー、木戸さんがまだ生きてる時期だ。
(ほら、歴史に詳しいわけじゃないから木戸さんの生きてる時間軸を中心にしか歴史が見れてない)

だけど木戸さんも煉瓦街をあるいていたのかなぁ・・・

似合う!

似合うよ!


・・・と思ったら本格的に洋風煉瓦造りの街並に変化したのは明治10年以降だって。


ちょっ、10年て・・・・・・(どん底)



気を取り直して、煉瓦街化の直接のきっかけは明治5年2月の大火事。
その復興計画として耐火都市の計画を立案したのが大蔵大輔井上馨東京府知事由利公正


井上って、もしかしたらボルネオの王様誕生の影の立役者になってたかもしれない人なんだけど・・・・・・

どこにでも顔だすなぁ。



井上と由利の立案は、メインストリートの幅を広げ、通りの両側には煉瓦で舗装された歩道を完備、桜・楓・柳・松などの街路樹も植えて、されに41基のガス灯を設置というもの。


素敵だったろうな。


でも国家予算の27分の1、180万円の総工費をかけて造った煉瓦街は当時不評だったそうです。


それでもその後ちゃんと流行の最先端をいく繁華街に変貌を遂げちゃうのだから、井上の感覚ってのはやっぱりめちゃくちゃ鋭いんじゃないかなと思う。

晋作は癇が走ってるって感じだけど井上は癇が鋭いって気がします。
(なんかわかりづらい表現だ。ごめん)
| イツカ | 17:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | 17:48 | - | - | pookmark |
Comment








Trackback

Calendar

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>

Sponsored Links

Profile

Recommend

Search

Entry

Comment

Archives

Category

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode