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松陰神社1
2008/3/1〜3/3


先月の1日から3日まで山口に旅行に行ってきました。
2、3日目は念願の萩〜vv

3日目は松陰神社、吉田稔麿生誕の地、伊藤博文旧宅、おおすみ美術館を見に行ったのですが、そのうち松陰神社内の蝋人形で松陰先生の一生を辿ろう・・・という壮大な(?)企画のもと作られた資料館が思いのほか楽しかったらしくやたらと写真を撮ってました。


以下はその模様です。



2008/3/3 松陰神社


平日の上、雨模様だったせいかやたらと空いていました。
室内は暗いのにコンパクトカメラで無理やりISO感度を上げてフラッシュなしで撮る。
画像がザラついているのはそのせいです。
それではどうぞ〜。





最初は松陰先生が生まれた頃の時代状況が説明されます。
初心者(私)に優しいつくりです。


[鎌倉殿中慶賀の図と一揆打ち毀しの様子]




松陰先生が生まれた天保の時代は全国的に凶作が続き、各地で一揆・打ち毀しも頻発。
この危機を乗り切るために考えられたのが公武合体論で、十四代将軍徳川家茂と孝明天皇の妹君和宮の婚儀が江戸城で行われた。
各大名が登城して慶賀している様子が錦絵に描かれていました。



へ〜〜〜・・・


↑おそろしい。
これでよく歴史が好きです、なんて言ったもんだ。
でも学生の頃、歴史の時間は寝てたんだよ。


私はのんきだが、そんな中、松陰先生誕生ー!
先生の子ども時代が現れます。



右:松陰先生幼少期
左:兄の梅太郎






やがて兄とともにスパルタ叔父さま玉木文之進に教育を受けに行きます。
このとき数えで5歳。







[午前講義]

松陰先生が10歳のときに毛利の殿様の前で“戦法篇三戦”を講義しているところ。





山田亦介!
市の伯父さんだ・・・!

で、その亦介に西欧諸国が盛んに東洋を侵略していると聞いた松陰先生はそのとき16歳。
その後、長崎・平戸・北九州各地を歴訪。平戸では葉山左内について猛烈に勉強を開始。
(開始って・・・もうすでに相当してたのに?!すごー・・・)

熊本では宮部さんと親友にもなってます。

その後も日本中を歩いて回る松陰先生。






しかし南部藩士の安芸五蔵の仇討ちに協力するため、藩からの通行証を待たずに出発したかどで脱藩の罪を問われ、萩に帰ってのちは士籍も削られ扶持も召し上げられ、父親の杉百合之助の育となることに・・・


でもそのおかげで松下村塾が・・・!
(2へ続く)
| イツカ | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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